Note

ネタバレ回避・備忘録・メモ・オチなんて存在しない。オタっぽいのははてな、日記っぽいのはこっちに書いてます https://note.com/asari6v6

なむあに最終話を見返していて改めて気づいたこと

あることを形にしたいんだけどな~って色々見返しています。

で、先日はなむあにの最終話を見返していたんですが、梵天は天界に「帰った」と思い込んでいたんですけど、帰ったのではなくて、阿修羅と同じく「修行に出た」んですね。場所が天界なだけで。

そう考えると最後に帝釈天に一緒に帰らないか?と声をかけたのは梵天の「迷い」や「弱音」であり、「ここが気に入っているんだ」と一緒に行かなかった帝釈天はそのことに気づいていての返しで背中を押すためのあの態度だったのかもしれない。…と思うと胸いっぱいになってしまいました。
阿修羅との因縁に散々クヨクヨしていた自分に発破をかけて背中を押してくれた梵天の背中を今度は自分が押す番とでも思っていたのかもしれない。

普段鈍感なくせに、あの時の帝釈天は阿修羅が梵納寺を旅立った理由も察し、梵天が修行に行こうとしていることにも気づき、さらには釈迦如来が梵納寺に帝釈天梵天を呼んだのは大日如来の代わりをさせるためじゃないことも気づいていて冴えまくりでしたからね…。あの時の帝釈天はゲーム寄りの帝釈天のように結構有能だったと思う。
(私はアニメとゲームは繋がっていると思っている派です。アニメの帝釈天とゲームの帝釈天はたしかにちょっと違うけど、ココでゲーム寄りになったのかもと書きながら思いました)

梵天が思い悩む時は帝釈天が背中を押し、帝釈天が思い悩む時は梵天が背中を押す。あー。光の腐女子なので良いことは一緒に楽しんで笑うけど、悲しみや苦しみに陥った時に一緒に闇落ちしないコンビって大好きなんですよ…
一緒に泣いたらダメなのだ。二人には大きな目指す道がある。二人で弱ってしまってはそこで道は閉ざされてしまうから。

…ってちょっとだけ書こうと思ったのですが、書いているうちに思いがあふれてきて想定の3倍くらいは文字を書きました。やっぱり帝&梵好きだな~…。